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ECIだより


2010.04.06  
森に生きる。

今朝、一歩外に出ると、
光がまぶしくて空気が軽くて
小躍りしたくなりました。
今日が私にとって決定的な春の到来です。

さて、そんな私の42回目の春。
建築を考えることと生活をすることがどんどん混じり合い、
ボーダレスになってきているのを実感しています。

家の中にすべてがあります。

こどもといると、家の中が森になります。
住んでいる、というより彼らは生息している。
その生態を目にするたび、ここは森なのかと思う。

彼らは狭いところが大好きです。
隠れられるところも。

カーテンだけで仕切っているクローゼットがあるのですが、
その中にいつのまにか巣をつくっています。
洋服がたくさん掛っているその下のちょっとした隙間に
ブロックやらぬいぐるみやら絵本やら
ありとあらゆるものを持ち込んでレイアウトし、
そこに籠もることを好みます。
そのさまは、昔飼っていたハムスターの巣とそっくりです。

ほんとうに、ちょっと目を離すと巣作りが始まります。
家じゅうどこでも。
自分の力で運べるものは全部使います。
机や椅子はもちろん、台所にあるザルや鍋やらも
いつのまにか採集されています。
枕や布団でも、巣穴をつくります。
その中には収穫物がたくさん集められています。

なんでこんなことするのかな、動機はいったいなんだろう?
・・なんて思っていた時期もありましたが、
今は、自然な営みだなあと思う。

じっさい。
私はかつて、“巣作り”するように建築をつくっていました。
鳥や虫たちのように、身近にある素材を採集してつくる、ということを。
人間も昔、そんな風に家をつくっていたはずなのだから。

竹やら土やら、素材を採集して回るのはほんとうに楽しかった。
たくさんの人たちと、そんな活動を通してめぐり合い、
みんなで巣作りする生理的な快感、躍動感に魅了されました。

そして今。
巣作りは、まったく人間が持って生まれた本能であって、
ごく自然な衝動なんだということを、いやというほど感じる日々です。
独創的でなんのてらいもない巣作りを日課のように見ていると。

そこに動機などない、という点でこどもには完敗です。
つくることは自然な衝動で、こんこんと出てくる湧き水みたいなもの。

娘は、おやつにヤクルトやらカップ入りのヨーグルトを出すと、
きれいに食べて、洗面所につっぱしります。
何か作りたくなったサインです。
工作に使えそうなものは何でも洗いにいきます。
いつもあらいぐまだと思って見てます。


あ、ここは森だったと思う。



2010.02.10  
ラッキー

日曜日に、娘といっしょに収納棚を作りました。
工作みたいなノリだけど、
軽くて丈夫な棚です。

P1010311%281%29%281%29.jpg

ほほう、と思ったのは、娘が
「こうしたらイスになるね♪ ねえ、イスもつくろうよ。」
と言って、部材を自在に組み立て始めたこと。

いいなあ、自由だなあ。
こどもって、ほんとに先入観なくなんでも作るんだな。
それに。
自分で作ったものには愛着が湧くんですね。
何をどこに収納するのか、自分で采配し始め、
「ここ(※左端)は、○○ちゃんがくもんの宿題をする机にするね。
イスはじぶんで作るからね!」

娘の手にかかると、家中のあちこちが机になり、イスになります。
そういう応用にこたえられるよう、
用途が限定されないような工作家具をあちこち置いてます。

最近、私が日課のように家の中をいじったり、
本棚などをつくったりしていたので、
保育園から帰ってきて、家の中で変わったところを
見つけるのが楽しみなようです。

「きょうのまちがいさがしは何個?!」

変化したところを“間違い探し”として楽しんでいます。

それにしても。
設計を本職としていながら、
私は自身の生活環境に無関心すぎました。。
デザインとか素材とかハード面ばかりで、
いわゆる“生活”を知らなかったんですよね、これまで。

いまでは“生活を考える”ことが愉しくてしかたありません。
ちょっとした工夫で、暮らしがいい方向に変わるんですね。
いつも、帰宅したら服を脱ぎ散らかしていた夫も、
簡単なハンガースペースを作ったら、そこに掛けてくれるようになったし、
なにより、収納を楽しく工夫したら、
家の中が散らからなくなりました。
こどもたちも、多種多様なおもちゃの在り処がわかりやすくなって
お片付けも上手になったし。

家が身体の延長にある、という実感がもてるようになりました。
神経がつながった、というのかな。
こうなると、ほんとに暮らしやすいです。
そして。
家というのは、暮らしながら、ちょこちょこいじるほうがいいなと
思うのでした。

生活というのは、やってみないとわからないですよね。
新築の家を建てたら、必要最小限なものだけそろえて、
あとはすこしずつ増やしていく方がいい。
じぶんたちの行動様式に合わせて。

こういう「生活をつくる」ことを仕事にしたら愉しいだろうな~
あ、ラッキー、わたしいちおう資格持ってるんだった!
・・なんて思う、妙な気分の昨今です。



2009.10.19  
ドリームハウス

昨晩、4歳になる娘と初めてテレビのチャンネル権を争いました。
私は“フィギュアスケート”で、娘はなんと“完成ドリームハウス”。
・・なんとなく負い目を感じてしまい、
リビングのテレビは娘に譲って、私は自室に行って見ました。

フィギュアスケート。
浅田真央選手のフリーの曲目“鐘”は・・・合ってなかったですよね?
音楽との相性がよくないなあ、足を引っ張られていてもったいない気がしました。
ライバルのSPの“007”はすごく格好よかったのに。

身体が音楽に乗った伸びやかな演技には心底うっとりさせられますが、
それは、そこに魅力的な“空間”を感じさせてくれるからだと思っています。
氷上に、滑った軌跡に、うわーんと空間が形成されて見えてくるんです。
そんなのは私だけでしょうか??
フィギュアって図形という意味ですが、そういう線的な演技が
音楽にうまく絡むと、空間が立ちあがって見えてくるようです。
でも、音楽とのそりが合わなかったり、技術だけで滑っていると
それはいつまでも線の集まりでしかなく、手足が空を切っているだけ。
見ていて、心を持っていかれることはありません。

建築のデザインも線の表現だけど、
相性はもちろん、住む人たちの暮らしの性質にうまく絡むものでないと、
結局、線の集まりでしかないんだろうな、
手足が空を切るような住まいになったら空しいな。
ちゃんとその暮らしのリズムと絡み合う、住む人の身体感覚に合う空間を
立ち上げられるスペシャリストでなくっちゃいけないなあ・・

・・なんてことを思いふけりながらスケートを見ていると
リビングから娘の私を呼ぶ声がします。

「おかあさん、ちょっと来て来て!
〇〇ちゃん、こんな家に住みたいの。」

リビングのテレビでは、ドリームハウスが完成していました。
それは狭小8坪の家で、その狭さを感じさせないために、
仕切りをすべてなくしている家でした。
“10階建て”とナレーションが語っていましたが、
家の中心にあるらせん階段に沿ってステップ・フロアーになっていて
台所、リビング、トイレ、寝室、子供部屋、、いろんな部屋が仕切りなしに
階段でつながっているものでした。
空間的なワンルームで、どの部屋も階段越しに見え隠れしている感じ。

「なんでこの家いいなと思ったの?」

「えっとね、なんかジャングルみたいなんだもん!
△△くん(※赤ん坊)といっぱいあそべるもん。
こんな家がいいよぉ、おかあさーん。」

はあ、ジャングルか。
ジャングル・ジムっていう意味もあるのかな。

「うん、まいにち運動会みたいで楽しいかもね。
でも、うちはもっともーーっと愉しい家にしようよ。」

いっしょにかんがえてつくろうね。
これまでの暮らしの軌跡をかたちにしよう。



2009.10.06  
魔法のすべり台

ふと思い立ったとき書きこんでいる、
ほんとうにつかみどころのない気まぐれちょうちょ便です。
ごめんなさい。

4歳になる娘は、ときどき生まれる前の話をしてくれます。
それは“雲の上にいたころの話”。

昨晩寝入りばなに、こんな話をしてくれました。
それは現在1歳9ヶ月になる、
赤ん坊とのつながりを暗示するものでした。

「おかあさん、ないしょの話なんだけどね、
 あのね、雲の上にはね、“魔法のすべり台”があるの。
 それはね、けっこんした女の人のお腹につながってるの。
 〇〇ちゃん(※娘)はね、
 △△くん(※赤ん坊)が背中をどんと押してくれたから
 おかあさんのところにすべってきたんだよ。
 △△くんのおかげで、おかあさんのところに来れたの。
 そのあと、△△くんはひとりですべって来たんだよ。」

そうか。
そういう発想は無かったです。

いま在るものは、未来に在るものが後押ししてくれている、
そういう発想っていいですよね。



2008.11.19  
家のジェネレーション

しばらく、ほんとうにしばらく、お休みしていました。
ひらひらと、いつもつかみどころのないちょうちょ便ですが、
これからもひらめくままに送らせていただきます☆

人間、性格というのはなかなか変わりませんが、
考え方というのは劇的に変わっていくものなんですね。

今年はじめにふたり目を産んだのですが、
産んだ直後から、
もう一回産みたい、いや何度でも産んでみたい、
と思っています。

現実・・はともかくとして、ただ純粋に何度でも産んでみたい。
まるでさなぎになった気分の臨月から、
産み落とすまでの、
強烈な変成感覚にも魅了されていますが、
もうひとつ、
生まれてくるかたちそのものに魅惑されています。

1人目を産んだあとは、
別の人との子供も産んでみたい、と他意なく思ったものです。
ほんとにそれ以上の意味はなく、
純粋?に別の遺伝子との掛け合いを見てみたくなって・・。

でもふたり目を産んでみて、同じ男女の組み合わせでも、
遺伝情報の取捨選択によって
こんなにも1人目とタイプのちがう子が産まれてくるんだなぁ、、
と驚かされました。

遺伝子というのは、それこそ何億年も前からつながってきていて、
その過程がすべてDNAにインプットされているとしたら、、
1人の人間の中に、膨大な量の遺伝情報があるわけで。。

近いところでいえば、私や夫の1000年前のご先祖様の遺伝形質が
ひょいっと顔を出してもおかしくないかもしれない。

ふたり目の赤ん坊は、
私にも夫にも娘にもあんまり似ていないのですが、
そういえば私の父に似ているような?
いや、父のおじいさん、そのまたおじいさんかもしれません。
世代をとび越えた、気の遠~くなるような繋がりを感じさせてくれます。

ほんとに。
夫との子を何人産んだとしても、この驚きは永遠に続くのでしょう。
互いのどの遺伝情報が出現するのか、どれとどれが掛け合わされるのか。
部分的ですが、赤ん坊の耳の形は上半分が私、下半分は夫にそっくりで、
掛け合わされているようです。

形が遺伝していくってほんとに面白い。
建築のデザインにはどうしても作為が入ってしまうせいか、
こうした形の生成(generate)の仕方には魅惑されてしまうのです。

遺伝形質を取捨選択したり、組み合わせを決めるのは、
究極の無作為なのか?否か。

いま、我が家族のための新しい家づくりに取り組んでいますが、
それはまるで新しいものではなく、
これまで住み馴染んだ家から受け継ぎたいものを土台にして
これから営み続けたい生活を掛け合わせてみます。

家にも遺伝子というのがちゃんとあって、
それは次の世代、その次の世代へと、
大事な形質をバトンタッチしていけるんじゃないだろうか。

1000年先の子孫にも、受け継いでもらえるものがつくれたら、いいな~。

gene(遺伝子)
generate(生成する)
generation(世代)

おんなじような顔をした家々が並ぶ景色には、
やはり、生理的な違和感があります。
ソフトが違えばハードも違って当たり前。
個々の家族の生活様式はもちろんのこと、
その家族の世代(generation)ごとに繋がってきたものを見極めて、
その遺伝子(gene)を、かたちや仕様に活かしていけたら素敵です。

世代や時代の変化に揺るがない普遍的なものが
家にはあってほしいと思います。
ふぅぅっと力がぬけて、ぼーーっとくつろげるのは、
ずっと守られてきた何かがそこに在るから・・じゃないのかな。



2007.07.09  
終わりが始まり

つちのこが、6月いっぱいでその役目を終え、その後解体されることとなり
6月さいごの日に、これまで工事に参加してくださったみなさんを、
つちのこで終日お迎えしました。

07.06.30%20tuchinoko.jpg

工事が始まってから丸6年。
参加し始めた当時は学生だった人たちが、
今、それぞれの選んだ職の道を歩いています。

大工の若棟梁として活躍しているKくん、
農業のかたわら小学校で食の大切さを教えているWさん。
「つちのこは、自分の原点。ここに来なかったら、今の自分はなかった。」

終わりこそが始まり――6月さいごの日、それを実感しました。
朝からたくさんの人たちが全国から駆けつけてくれて、
それぞれの夢や抱負や覚悟など、"これから"の話で盛り上がりました。

参加し始めた当時、中学生だったYくんは二回りも大きくなって、
最近覚えたギターを手に、皆が語らうバックで終日弾いてくれました。
彼が最初に弾いたのは、G線上のアリア。
アリアというのは、偉大な指揮者や演奏家が亡くなったとき、
追悼コンサートで最初に演奏する曲なんだ――
――弾き終わったあと、そう教えてくれました。

4月から東京で働き始めたばかりのH君は、夜行バスに乗ってはるばる参上。
愛知から仕事を早めに切り上げて駆けつけてくれたB君、
すっかり社会人らしくなってスーツ姿だったけれど、
学生の時からの一途な印象は、そのまんま。

日が傾きかけた頃、前回のブログにも書いた"ちくちくの会"のみなさんが、
手料理やケーキを抱えて、大勢でやって来られました。
ケーキには"つちのこ、6年間ありがとう"の文字が。
宵のつちのこは、愛情いっぱいの手料理を囲んで、
10畳ほどの室内に30人以上がひしめきあい、盛り上がりは満ち潮に――
―― 扉の外には満月。
それもちょっと潤んだおぼろ月夜。
じんわりと、すべてのものものに祝福されているような一日でした。

thankyou.jpg

これまで建築士という仕事をやってきて、
これほど幸せを感じた日はありません。
かたちを生み出すこと―― それがいちばんの悦びだったけれど、
そのかたちが無くなる、という状況に直面して初めてわかったことがあります。
建築はかたちではない。
最後まで、いや永遠に残るのは、つくる現場からそこに込められ続けた想念。
人や、すべてのものものの息遣い。

つちのこは、変わり続けることを宿命として生まれてきたのだと思います。
この6年の間もずっと変態してきましたが、そのかたちを失っても、
また新たなかたちが生まれ続けていくはず。
つちのこは土に還り、またそこから新たないのちが芽吹く。
縁あってここに集った延べ1700人以上の人たちの、
それぞれの現場で、日常の中で。

つちのこが無くなることを知ったとき、
当初は身をきられるような痛みを感じました。
もはや自分の血肉を分けたような存在でしたから。
でも。これから一建築士としてもう一皮脱する機会をもらったのだと、
今は思えるのです。

建築というのは一つの環になっていて、その環を一巡、巡り切ることが、
これからの自分に必要だったのではないか。
目に見えるかたちが無くなることで、今まで見えなかったけれど、
そこに在ったほんとうの意味が露出して、ぐいぐいと迫ってきています。

かたちの終わりが終わりではない。
どんな生命体もそう。
終わりからすべてが始まる。
きっと、つないでいける。
いのちは結んで、ほどかれ、結んでは、ほどかれる。
結びのかたちは、いつも唯一無二の新たなかたち。

それをまた、この眼で見たいです。
見たこともないかたちを結びたい。

時代と、人と、ものものの良縁を結ぶのが、建築士の本命なのだ、と思います。

H19.07.09
コシミズソノエ /architect



2007.05.14  
ちくちくけんちく。

週末、出会いがありました。

「ちくちくの会」という、ただひたすら縫うことを楽しむ人たちがつちのこに集い、
私も初めて参加したのですが、
すばらしく気のいい方が続々とやって来られてびっくりしました。

年齢層は広く、私の母親ぐらいの方も多く、みなさんセンスとパワーが抜群で
性格もしゃっきりしていて、お料理上手!
(お昼になると、誰彼となく持ち寄った手むすびや手料理がテーブルにずらっ
 と並び、 それがいちいち美味しくてなりませんでした。)

tikutiku.jpg

ちくちく、ちくちく、
他愛ないおしゃべりもしながら皆さん自分の手元に集中しています。
縫うものはなんだっていいんです。
一枚の雑巾だったり、
可愛い着物のハギレでジーンズの裾まわりを縁どったり、
しま模様のブラウスの縞間に、色とりどりの糸でステッチを入れたり、
みなさん、自前の針仕事を持ち込んでやっておられるんです。
私は家でちょこちょこデザインしていた革のカバンを持ち込んで、縫いました。
それを、気のいい人たちの輪の中でやると、本当にきもちいい。

一枚の布キレを慈しむ感じが、場に充満していきます。
ふだん母親業を地道に営んでいる反動か?
この方たちにどっぷりと甘えたくなりました。。
ちくちくしている人たちは、ふところも深く縫いこまれているみたい。

「ちくちくの会」は、毎月1回、図書館とかメンバーの自宅とか、
場所を変えながら、ずっとおのおのの縫い物の続きをやっておられます。
縫うものは限りがないので、きっと、ずーーっと続いていくのでしょう。

針仕事って、やってみるとよくわかるんですが、生理的快感があるんですよね!
出来上がるのも嬉しいけど、縫っている最中がみょ~に気持ちいいんです。
ちくちく、ちくちく、地道だけど確実に、さっきまでとはちがうものになっていく。
なぜか、男の人はあまり針仕事しませんね? 
もったいないな~、気持ちいいのに。。

文字通り、糸を縫うように進む時間があります。
ちくちく、で一歩。ちくちく、でさらに一歩。
ふだん時間に追われているからこそ、身体が喜んでくれる気がします。

・・その後毎晩、仕事のあと、ちょっとだけ時間をつくって、ちくちくしています。
なぜか、すーっと落ち着きます。
亡き祖母が着物を仕立てる仕事をしていたので、
その血がさわぎ出したのかもしれません。

しかし。
建築づくりも針仕事なんだな、と思い至りました。
図面は、線を縫うように描いています。
一針、一針、その瞬間の心意気を込めているつもりです☆



2007.04.20  
ことばのちから

20代の頃、ウルフルズ※にはまって、ファンクラブにも入っていました。
(※関西出身のグループで歌手)

ウルフルズといえば、大ヒットした曲“ガッツだぜ!”を抜きに語れませんが、
先日、ボーカルのトータス松本さんが、テレビでこんなことを言っていました。

「“ガッツだぜ”は、売れたくて売れたくて、売れそうな曲と歌詞をつけてしまった。
 でも、あれはぜんぜん自分から出てきた言葉じゃない。
 だから、のちのち辛かった。。
 それ以来、自分の言葉じゃないよな~という歌詞はぜったいにつけない。」

私にも、言葉にまつわる苦い経験があります。
「AはBである。」
「CはDである。」
と、発言したことから
「AはDである。」
と編集されてしまったこと。。それが公に出てしまったこと。

最初の2文は、まちがいなく自分の発言ですが、
最後のやつは、どう考えても自分から出てくる言葉じゃないのです。
編集のちからってこわい・・。

ことばって、たましいだと思います。
たましいを売っちゃいけない。

トータス松本さんも、そんな風に感じたから、のちのち辛かったのかな~。

もし、これ、読まれている学生の方いらっしゃったら、
ぜひ、自分の言葉には真摯でいてください。
自分から出てこないような言葉で面接を受けたり、論文を書いたりすると、
結果、自分が傷つきます。
言葉で自分をうらぎらないでくださいね。

ウルフルズの最近の曲“サムライ・ソウル”は、
静かなたましいの叫びって感じです。
やっぱり、サムライ・スピリットって素敵。
私のこれからのテーマは、サムライ魂と、着物を痛快に着こなすことなのです♪

手始めに。
今年は武道を習おうと思っています。
友人に薦められたのですが、心を強くするには身体を鍛えなきゃ!
・・という筋立てです。
心の問題は、心で解決できない。
身体がしゃん!とすれば、心はそれについてくる。
武道って、そういうことがちゃんとわかっている“道”だからすごい。

2歳の娘にも、「そろそろ水泳とか絵画とか習わせたらどう?」
と、外野がうるさいのですが、
ちょっと引っ込み思案な娘に、サムライ魂の種を植えてあげるのも・・いいかな。

さて。
母子一緒に習える空手教室ってあるんでしょうか?
南大阪で探しているんですけれど、もしご存知の方おられましたら、
ぜひ教えてくださいね☆



2007.03.20  
earth gift ~ これからのこと

こんにちは、earth gift担当山口です。
この場を借りて、ご報告させてください。

3/3(土)・4(金)。
地球の芽は、これまで公開しておりました、
コンセプト住宅 “earth gift北之庄”の販売会を行いました。

たった二日間の開催にもかかわらず
多くの方にご来場いただき、本当に嬉しく思います。
ありがとうございました。

そして、
このたび、お住まいいただける方に、お会いすることができました。

お客様との会話の中で感じたことがあります。
それは、つくる人の思いは、伝わるんだ、ということです。
今回、お客様と巡り会えたのは、
earth gift北之庄をめぐる設計士の思い、施工者の優しさ、職人の丁寧さ、が
評価いただけたからだと思います。


家は、つくるもの。
家のうしろに広がっている色々なつながりを、住みながら感じられる(発見する)ような
家づくりを、これからも提案していきたいです。


「今日はさくら味のおいしい風が吹いているわ、窓を開けてみて。
 日なたが用意できましたよ、縁側でどうぞくつろいでね。」

 earth gift北之庄と住まわれる方との、そんな会話の日も近いのだなァ!


地球の芽
山口 琴子



2007.01.31  
レシピどおり ?

先日、
晩ご飯のメニューに悩んで
料理本をめくっていると、
豆腐ハンバーグ味噌味ソース、というのが目に留まり、
むしょうに作ってみたくなりました。
豆腐と味噌、合わないはずはありません。

さっそく材料を準備し、
いまや何でも「おてつだいする~♪☆」と寄ってくる娘に
豆腐と豚ミンチ、人参、ピーマンを混ぜたものを捏ね回してもらいました。
それを楕円に丸めて、じゅわじゅわ焼くだけ、カンタン☆

でも・・。
味噌味ソース、こっちは曲者でした。
レシピどおりに、
味噌、ごま油、しょうゆ、砂糖、塩、お酒、牛乳を混ぜてつくったのですが、
何をどこで間違えたのか、とんでもなくまず~い仕上がりに・・。
味をまろやかにしようと思って牛乳をくわえても、
塩味が足りない気がして、さらに塩を加えても
もう、どうしようもない、救いようがないのです。。

結婚以来、
私のつくる料理は、
お皿を洗わなくてすむぐらい綺麗に食べてくれる夫も
「ごめん。今日はなんか、箸がすすまへん。」
・・と箸を置き、
私も、釣られてギブ・アップ。
それでも愛娘は「おいしいね~」と言いながら食べてくれました。
2歳にして場の空気が読める・・気配り娘なのです。

建築も料理にたとえてみると、
レシピどおりにつくっても、うまくいかないことがあります。
とくに自然素材をあつかうときは要注意!

「甘くなっちゃったな、じゃあ、ちょっと塩を加えてみよう。」
「ちょっと塩辛くなったから、砂糖を入れてみよう。」
 ・・これではだめ。

味は、重ねることはできても、
すでにある味を後から打ち消すのはムリなのです。
逆にどんどん変な味になって、食指が遠のくばかり・・。

味付けとは、バランスを見ながら、
少しずつ重ねて重ねて、濃くしていくべきものなんですよね~。


昨年竣工したearth gift。
この家のチャーム・ポイントは、色景です。
この土地で採れる美しいピンクの土壁をベースに、
近郊で採れるさまざまな色土で染めた板がアクセントになっています。

色そのものがやさしくて甘やかなので、
工事半ばに、全体の印象をちょっと引き締めたくなりました。
その“天然の甘み”をほどよく活かすためにも。

甘さを引き締めるのは、辛さではなく苦味です。
そこで、ちょっとビターな色を隠し味で入れてみました。

それから。
なんといっても、味を引き立てるのは「余白」。
“なにもしていない感じ”、というのが
全体を薄味にして、ベースになっている味の感度を上げてくれます。
そこで、その後の仕上げの部分を、
とにかくなにもしていない感じ、という仕様に切替えました。
最終的には、マイルドだけど隠し味ビター、になったかな・・?

tone.jpg

earth giftは、私自身の舌で慎重に味見しながら仕立てた家ですが、
味覚というのは人それぞれ。そこがおもしろい☆
これからは、住まう人それぞれの味覚にあった家を、
風味よく仕立てていきたいものです。





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