昨晩、4歳になる娘と初めてテレビのチャンネル権を争いました。
私は“フィギュアスケート”で、娘はなんと“完成ドリームハウス”。
・・なんとなく負い目を感じてしまい、
リビングのテレビは娘に譲って、私は自室に行って見ました。
フィギュアスケート。
浅田真央選手のフリーの曲目“鐘”は・・・合ってなかったですよね?
音楽との相性がよくないなあ、足を引っ張られていてもったいない気がしました。
ライバルのSPの“007”はすごく格好よかったのに。
身体が音楽に乗った伸びやかな演技には心底うっとりさせられますが、
それは、そこに魅力的な“空間”を感じさせてくれるからだと思っています。
氷上に、滑った軌跡に、うわーんと空間が形成されて見えてくるんです。
そんなのは私だけでしょうか??
フィギュアって図形という意味ですが、そういう線的な演技が
音楽にうまく絡むと、空間が立ちあがって見えてくるようです。
でも、音楽とのそりが合わなかったり、技術だけで滑っていると
それはいつまでも線の集まりでしかなく、手足が空を切っているだけ。
見ていて、心を持っていかれることはありません。
建築のデザインも線の表現だけど、
相性はもちろん、住む人たちの暮らしの性質にうまく絡むものでないと、
結局、線の集まりでしかないんだろうな、
手足が空を切るような住まいになったら空しいな。
ちゃんとその暮らしのリズムと絡み合う、住む人の身体感覚に合う空間を
立ち上げられるスペシャリストでなくっちゃいけないなあ・・
・・なんてことを思いふけりながらスケートを見ていると
リビングから娘の私を呼ぶ声がします。
「おかあさん、ちょっと来て来て!
〇〇ちゃん、こんな家に住みたいの。」
リビングのテレビでは、ドリームハウスが完成していました。
それは狭小8坪の家で、その狭さを感じさせないために、
仕切りをすべてなくしている家でした。
“10階建て”とナレーションが語っていましたが、
家の中心にあるらせん階段に沿ってステップ・フロアーになっていて
台所、リビング、トイレ、寝室、子供部屋、、いろんな部屋が仕切りなしに
階段でつながっているものでした。
空間的なワンルームで、どの部屋も階段越しに見え隠れしている感じ。
「なんでこの家いいなと思ったの?」
「えっとね、なんかジャングルみたいなんだもん!
△△くん(※赤ん坊)といっぱいあそべるもん。
こんな家がいいよぉ、おかあさーん。」
はあ、ジャングルか。
ジャングル・ジムっていう意味もあるのかな。
「うん、まいにち運動会みたいで楽しいかもね。
でも、うちはもっともーーっと愉しい家にしようよ。」
いっしょにかんがえてつくろうね。
これまでの暮らしの軌跡をかたちにしよう。