懐かしい風景、活き活きした子供達(Phobjikha)。
ブータンを西部と東部に分けるブラックマウンテンの西側に広がる村、
ホブジカ(Phobjikha)。標高3,300mのこの地は氷河に侵食されできた
谷が広がっている。そのせいか、この地域に入ったとたん、一面丈の
低い竹やぶに覆われた尾根が広がり、まるで別世界に来た感じがした。
そう、スイスのようだ。
ホブジカはヒマラヤ山脈を越えて越冬をするオグロヅル
(black necked crane)の飛来地でもある。訪問時にはあいにく
オフシーズンなので会えなかったが。
この地で宿泊したホテルでは、電気はホテルで自家発電しており、
通電する時間帯が午後5時頃から午後9時半までと限られている。
以後は文字通り消灯だ。たまたま懐中電灯を持ち合わせていたが、
夜中に用があるときは普通蝋燭を使うしかない。
■朝のホブジカ。一面に草原が広がり、牛や馬の放牧、ジャガイモ
畑が広がっている。

■村は昔の日本の風景にどこか似ている。井戸水で洗濯や洗髪
するお母さん、外にある便所、牛や馬と一緒の生活。なんだか懐かしい。

■写真は子供達がビー玉で遊ぶ様子。なんだか懐かしい。

■小学校の風景。教室では音楽に合わせて演技の練習が
行われていた。また壁には教育指導要領とでも言おうか、教師が
教えるべきポイントが書かれていた。基本的なことだが日本人も
見習うべき点が見られる。

■子供達は幼稚園から英語で授業がある。国語(ゾンカ語)以外は
すべて英語だ。ブータン人の先生の数が少ないためインドからの先生も
多いこともあるのだろう。「Give me a picture!」「 Give me a pen!」と
おそらく覚えたての英語で健気に話しかけてくる。愛嬌たっぷりだ。
彼らに後で写真を送ってあげよう。

■学校へ向かう子供達。当日は「Teacher's Day」という休日で
スポーツフェスティバルが行われるとのこと。皆制服を着て張り切って
通学していた。通学に3〜4時間かかる生徒もいるらしい。皆生き生きと
した目をしていたのが印象的だ。

■GoogleMap(Phobjikha)
■GoogleEarth(Phobjikha)
※GoogleEarthのインストールが先に必要ですが非常に面白いのでお試しあれ。
ゾン(Dzong)。
ブータンの「ゾン(Dzong)」は17世紀にブータンを統一したシャブドゥン・ンガワン・ナムゲル(1594-1651)が全国を統制するための政治拠点として各地に整備した、行政機関であり軍事的拠点であり寺院である。ブータンはシャブドゥンの転生仏を最高権威とする、完全な政教一致体制をとっており、城と寺の一体化を実現している。全国に20ほどあり、とても大きい。外観・機能ともまさに地域のランドマークだ。いくつかご紹介しよう。
■プナカ・ゾン。プナカはパロより東へ122km(車で約4時間半)、首都ティンプーより東へ76km(車で約2時間半)のところにある。標高は1,350mで、パロ(2,300m)やティンプー(2,400m)に比べて1,000m以上も低く、過去300年にわたりブータンの冬の首都であった。まちの中をプナ・ツァン・チュ(チュはゾンカ語で川の意)が通る風光明媚な場所である。
さてプナカ・ゾンは1637年完成でゾンの中では最も美しいといわれる。ポ・チュ(父川)、モ・チュ(母川)の合流点に建ち、全体が船のようだ。日本では見られない、紫の花をもつジャガ・ランタがとても美しい。

□エントランス。勾配のきつい階段が待ち構える。

□玄関を入ると仏教美術に出会う。写真は代表的なひとつで「老人」は長寿、「水」は恵み、「木」は成長と繁栄、「岩」は安定、「シカ」は平和と協調、「鳥」は自由を表す。人間が生きるために必要不可欠な内容が一枚の絵に凝縮されている。

□中庭。チベット様式のチョルテンとボダイジュ。そして大きなウツェ(本堂)。


■ワンデュ・ポダン・ゾン。1638年に完成。川に突き出して横たわっている。ワンデュ・ポダンはプナカより南へ20km下ったところにある風のきつい町だ。

□石畳の中庭。真ん中にそびえるのがウツェ(本堂)。

□「Give me a picture!」と子供達が集まってきた。

■パロ・ゾン。1645年頃に完成。パロは前回ご紹介したとおり、国際空港のある町だ。山がちのブータンにあって比較的平地が多く人口は2万人である。

■GoogleEarth(Punakha)
■GoogleEarth(Wangdue Phodrang)
■GoogleEarth(Paro)
※GoogleEarthのインストールが先に必要ですが非常に面白いのでお試しあれ。
ブータン。
ブータンという国をご存知でしょうか。
ヒマラヤ山脈の東端にある仏教王国。近代に至るまで鎖国に近い政策をとっており、インドをはじめとする他国の文化の影響を殆ど受けてこなかった国。2005年に初めて国勢調査が行われ人口は63万人。国土は東西300km、南北150km。面積は九州より少し大きいほどだ。緯度は沖縄位。南は海抜200m程度も、北は7,000m級のヒマラヤ山脈を有した高低差の大きい国である。インドと中国という大国に挟まれている。日本との時差は3時間遅い。
ブータンは1976年のある国際会議で述べられた、当時まだ21歳だったジグメ・シンゲ・ワンチュク国王のスローガン、「GNP(Gross National Product=国民総生産)ではなく、GNH(Gross National Happiness=国民総幸福量)」を国策としている。これはお金やモノなどの物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ、伝統的な社会・文化、自然環境などのほうが大切だという意。国にとって大切なことは経済成長を続ける発展ではなく、国民自身がそれぞれ「幸せ」だと感じることなのだ、と一国のリーダーが世界に宣言し実践しようとしている。
2005年の国勢調査で「あなたは幸せですか?」の質問に対し、「とても幸せ」或いは「幸せ」と答えた国民が全体の97%に上ったそうだ。日本ではどうだろう?
国王は、Time誌5月8日号「The lives and ideas of the world's most influential people」の一人にも選ばれている。
■風にはためくダルシン(経文旗)。「ダル」は旗、「シン」は木の竿を意味している。ブータンの家の前や丘の上など至る所で見かけブータンの象徴ともいうべき装置だ。写真はホブジカ村に入るところで。

■山のかなり高い位置にも家がぽつぽつある。日本の村のように集まって住む形態ではなく、個々の家が独立的に住む形をとっている。先祖代々この土地に家を建て、家の前に段々畑を作り自給自足の生活を営んでいる。山の麓からの荷物の運搬には馬を使い、1週間に1度程度下界に下りてくるそうだ。個人は土地を17エーカーまで所有することができる。写真はホブジカからワンデュ・ポダンの途中で。

■ドマ(ビンロウ)。ブータン人は、これをパネ(キンマ)という葉に包み食べるという。よく道端に食べかすの赤い汁が落ちているのを見かける。ガンテ・ゴンパにて。

■ブータン唯一の空港、パロ(Paro)国際空港。2004年にエアバス319が就航したことで輸送力がアップした。谷間を縫うように着陸する。

■GoogleMap(Paro International Airport)
※GNP:一国における一定期間の経済活動規模を貨幣価値であらわした指標の一つで、生産される場所に関わらず、その国の国民が生産した財やサービスの価値額を合計したもの。日本は世界第2位。
カンボジアの風景。
カンボジアの概要は以下の通りだ。
・面積:18万1,035平方キロメートル。日本の約50%。
・人口:1,336万人。
カンボジアは、ポルポト政権による300万人もの大量虐殺(1975〜79)、ベトナム軍の侵攻(1979〜91)、UNTAC活動などによるカンボジア和平への道のりを経て、平和が訪れたのはここ5年ほどだという。平和になった日本では考えられないような激動の時代が、ここ30年ほどにあったということだ。この国に来ると電気、水道、下水道、ガスなどのインフラが当たり前のように使えてしまう便利に高度化された日本の現状を改めて感じることができる。
■シェムリアップには幹線道路は舗装されつつあるが、信号はまだ数箇所しかないそうだ。滞在中は1箇所しか見当たらなかった。初めて設置された数年前人々は何に使うものか、不思議だったようだ。写真はインドのような光景でにも見えるが、まだまだ交通量が少ないのと、ドライバーがクラクションを鳴らさないので静かに感じる。

■幹線道路から一歩入ると未舗装の道路に入る。

■現地で建築設計を営む日本人が経営するカフェ「MoiMoi」。ご飯がおいしく料理も日本人の口に合う味だ。

アンコール・トム(Angkor Thom)のバイヨン寺院。
アンコールワットが造営された12世紀頃、アンコール王朝は最盛期を迎える。その時の規模は東京23区並み。防衛するには限界があった。そこでアンコールワット造営から半世紀後、アンコールトム(3km×3km)の中だけに都市を縮小した。インドのタージマハルもそうだが、後世に残るほどの建築ができた頃がその勢力の最盛期でその後は衰退していくのは歴史の定めだろうか。
Thomは大きいという意味。その中心に位置するのがバイヨン寺院。
アンコールワットが「天空の楽園」をテーマとしたヒンドゥー寺院であるのに対し、バイヨンが「王国の救済」をテーマとした大乗仏教寺院である。
■観音菩薩の四面塔。テラスに49、5つの塔門を入れて全部で54ある。

■入り口よりバイヨンを見る。

■第一回廊。アンコールワットと同様に一大絵巻が見られる。

■絵巻ズーム。クメール軍の行進。

■木陰の間よりバイヨン寺院を見る。

その他データ
創建者:ジャヤヴァルマン七世
創建年代:12世紀末
信仰:大乗仏教
アンコールワットでのスナップ。
アンコールワットでのスナップ。
■カンボジアの人々にとっては今でも聖なる場所。橙の衣をまとった巡礼中の青年。

■入り口の環濠で沐浴するカンボジアの人。

■環濠の手すりの下で休む子供達。カンボジアの人々はのんびりやでおとなしい印象だ。

■遺跡は自然の影響(雨季と乾季、コウモリの糞による塩害)・人為の影響(過去の内戦の戦場にもなった)により風化が進んでおり修復作業が行われている。柱に残った弾痕。

■修復作業は国際協力により行われている。日本からはアンコール遺跡国際調査団、JSAなどが参画している。写真は参道の修復の様子。

アンコール・ワット(Angkor Wat)中央部。
アンコール・ワット第2回。
中央部は、第一回廊、第二回廊、4つの尖塔(正面からは2つのように見えるが実は4つある)を有する第三回廊を経て中央祠堂がそびえている。
■第一回廊。非常に密度の濃い絵巻物が展開されている。表面は漆塗りがなされていたそうだ。また回廊を構成する柱や梁などが修復されているが、年代毎に修復の様子が異なるのもよく判る。

■南側の天国と地獄のレリーフ。何をしているところがお判りだろうか。

■連子状窓。透過視性により、外の景色を垣間見ることができる。光により作り出される影もとても美しい。

■第三回廊から見る中央祠堂。様々な場所で修復が行われている。

■登るのを拒否しているかのような急勾配の階段登り。45度以上の勾配、スキーなら上級者コースだ。

アンコール・ワット(Angkor Wat)の参道。
アンコール・ワット(Angkor Wat)。
12世紀前半に建造された、カンボジア・クメール建築の頂点。日本だと平等院鳳凰堂が同時期にあたるらしい。今から約140年前にフランス人博物学者アンリ・ムオが発見した。Angkorは王様の宮殿、Watは寺を意味する。
ヒンドゥー教(ビシュヌ派)の寺院であり、周囲は皇居とほぼ同じく約5km。南北約1300m、東西約1500mの堀で囲まれている。2年ほど前に駅伝大会で皇居を半周走ったが、ゴールが長く感じたことを思い出した。こちらは暑くて(午前9:30で摂氏36度)とても一周はできない。
■エントランスである薄暗い西塔門の内部を通りすぎると、塔門の中に縦長の長方形に切り取られた開口部越しに、中央祠堂が見える。これはフレーム効果を意識した設計で中央祠堂の高さを強調している。

■西塔門を抜けると4本の柱のたつポーチから、水平に広がる中央祠堂群が見える。ポーチの柱により仕切られている枠取りから建物全体がはみ出すようにみせることで、規模の大きさを強調している。

■参道は約600mと長く、中央に位置する尖塔があるときは見え、あるときは見えなくなる。歩くにつれ中央神殿への期待が高まっていく。尚、伽藍配置は左右対称となっているが、近年の調査により左右の長さのずれはわずか5cmであることがわかった。測量精度、建築精度の高さを物語っている。

■クメール建築は、木造、レンガ造を経てこの時代には石造となっている。構造部はラテライト(中央の火山岩のような石)、表面は化粧用として砂岩(右端)が用いられている。

■その他資料
創建者:スールヤヴァルマン二世
創建年代:12世紀前半に25,000人/年×30年をかけて造られた。
新年ご挨拶&フリーフォームデザイン。
新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
ちょっとご無沙汰してしまいましたが、今年も頑張ります。
建築デザインの分野では、地形や生物など自然界の曲線を表現するフリーフォームデザインが一つの潮流になっている。このような形はコンピュータによる3次元設計(Computer Aided 3-Dimensional Design)で意匠を検討すると共に、複雑な構造計算もコンピュータで可能となったことで、デザインの実現が可能となっている。
2005年、深圳に新築されたコンピュータ関連会社の新社屋ロビーに、台湾国立交通大学・劉教授チームのフリーフォームデザインが完成したので案内していただいた。ロビーに自立する鉄骨造のオブジェは、伸びやかに舞う龍のようであり、会社の成長を表現しているようであった。視点場を色々変えて眺めてみると、3次元曲面が色々な表情を見せてくれて飽きない。ライトアップされた夜景も中々見事だ。
■3次元曲面を観賞するベストスポットからの昼景と夜景


■上階より。


■全景。一部は受付カウンターとなっている。

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